背景の社会知識を知ると、より面白くなるアメリカ・イギリスおすすめ映画 3選

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日常の見方を少し変えてくれる、芳醇なアメリカ・イギリスおすすめ映画 3選

アメリカやイギリスなど、アングロサクソン系の映画、とりわけアクションやCGを駆使した作品ではなくドラマ映画が好きで、日頃から見ることが多い。なぜこれらの映画が好きなのかと言えば、それらは作品に”リアリズム(現実志向)”が通底しているからだ。

当然のことながら、映画とはフィクション(創作物)だ。しかし、すぐれた作品は時として、緻密な調査と現実志向の結実により、現実世界のエッセンスを抽出し、あたかも現実をそのまま描き出しているかのような、そんな錯覚に陥らせてくれる。

そのため作品を見ているだけで、現実社会の一端を垣間見たようなな気分に浸らせてくれるし、実際教えてくれるのだ。

このページは、これまでと日常の見方を少し変えてくれる、そんなオススメ映画の紹介記事です。

(一気に書くのは時間的にキツいので、とりあえず3本のみ紹介。)

・トレインスポッティング:スコットランドの若者の苦しみ

(英:1996年。ダニー・ボイル監督)

あらすじ:

マーク・レントンと仲間たちは、いつもハイになってるか、ドラッグを買うため盗みをしているかだ。
アル中で喧嘩が趣味のベグビー。女たらしで”007オタク”のシック・ボーイ。気のいい小心者のスパッド。
そして、なんでもOKの女子中学生ダイアン。そんな彼らの友情もやがて崩壊の運命をたどる。

圧倒的な絶望感の中、人生を変える賭けに出るレントン。彼はどんな未来を選ぶのか。

この映画が公開されたのは1996年。作中では90年代前半イギリスの、経済不況による暗くて陰鬱な空気がありありと伝わってくる。

ユアン・マクレガー演じる主人公が暮らす、スコットランドも例外ではない。80年代から始まるニューエコノミーへの産業構造の転換、ないし時のサッチャー保守党政権の労働組合弾圧などが重なり、ロンドンなど英国中央都市が活況を迎える一方で、炭鉱や造船の地域として栄えていたスコットランドや、その主要都市グラスゴーなど地方都市の経済状況は、もはや壊滅的といえる状況にあった。

そんな世界の下、日々何もすることがない主人公は、仲間達とドラッグや憂さ晴らしの犯罪行為、フリーXXXしかやることがない。

映画の最後、主人公は仲間たちを裏切ることで成功へのきっかけをつかむ。だがしかし、現実のスコットランドの若者はそうならなかった。

現実世界において、トニー・ブレア率いる労働党が政権を奪還したのが1997年。そしていわゆる「第3の道」政策により、イギリスの経済は好転し、若者の雇用も改善したのだが、それはスコットランドの苦境を変えるまでには至らなかった。暗転したままの現状を変えようとの意識が結果として、昨今のスコットランド独立騒動や英国EU脱退につながっていったのは、言うまでもない。

・ファイト クラブ:反消費文明とマッチョイズムへのまなざし

(米:1999年。デヴィッド・フィンチャー監督)

あらすじ:

不眠症に悩む若きエリートのジャック。

彼の空虚な生活は、謎の男タイラーと出会ってから一変する。自宅が火事になり、焼け出されたジャックはタイラーの家へ居候することに。「お互いに殴り合う」というファイトにはまっていく二人のもとに、ファイト目当ての男たちが集いあうようになる。そして秘密組織“ファイト・クラブ”がつくられた!

ブラピ演じるタイラー・ダーデンは作中において、次のように語る。

『 俺達は何だ?「消費者」だ。殺人・犯罪・貧困、誰も気にしない。興味あるのは芸能・アイドル雑誌に、テレビだろ?それにファッションのデザイン、毛生え薬、バイアグラ、ダイエット。

お前はモノに束縛されている。いつから、こんなになっちまったんだ?

進化しようぜ 』

何不自由ない生活を送っていたはずの主人公は、このタイラー・ダーデンの言葉に突き動かされ、日常生活の抵抗としての「暴力行為と消費文化の破壊活動」に突き進むことになる。

現代社会の通底にある近代化とはすなわち、暴力性の減退と合理性に基づく管理化だから、本作の主人公のように、現状になんらかの不満や違和感を抱く人がそれらへのオルタナティブとして反-主知主義、要するに暴力行為の中に”人間らしさ”を見て取ることは違和感がない。資本主義と消費主義への反感についても同じ。

かつてはそのような人たちは、社会主義革命に走った。

しかし、現在。社会主義が資本主義以上の圧政につながってしまうことは、20世紀の歴史が示している。

「ソ連やポルポトの社会主義とは本当の社会主義ではない」と擁護者たちはいう。その通りかもしれない。

しかし、これはすでに多くが指摘されているように、様々なヴァリエーションがあろうとも、社会主義とは根本的に、経済面では各自のインセンティブ構造からを刺激せずイノベーションを生みださないし、政治面においては膨張する官僚制しか生みださない。

いくら本作が衝撃を与えたとしても、人々の目が社会主義に目が向かうことは一向にない。

そのうえ人間は、すでに消費社会の渦に慣れ親しみすぎてしまった。ジョージ・A・ロメロが『ゾンビ(Dawn of the Dead)』で戯画的に示したように、人々は、今や死してなおゾンビとしてショッピングモールを彷徨い、消費の快楽を味わおうとする。

映画エンドロールの最後、観客は作り手が仕掛けた”トリック”により、あたかもタイラー・ダーデンが実在するかのような錯覚を受ける。だがそれは、同時に今日も「反消費」という名の「消費」を行う、わたしたちへの強烈なメタ構造をアイロニカルに示している。

人間は消費の奴隷でしかないのだろうか。

・ブレードランナー:サイバーパンクと”経済成長”の終わり

(アメリカ:1982年。リドリー・スコット監督)

あらすじ:

2019年、酸性雨が降りしきるロサンゼルス。
強靭な肉体と高い知能を併せ持ち、外見からは人間と見分けが付かないアンドロイド=「レプリカント」が5体、人間を殺して逃亡。
「解体」処分が決定したこの5体の処刑のため、警察組織に所属するレプリカント専門の賞金稼ぎ=「ブレードランナー」であるデッカード(ハリソン・フォード)が、単独追跡を開始するが・・・

『ブレードランナー』の世界は暗い。酸性雨が常に降りしきり、昼でもネオンが灯るロサンゼルス。この作品が公開されたのは1982年だが、そのような暗い舞台設定の背景には、混迷を極める70年代の世情があった。

石炭・石油など資源の枯渇と有限性を主唱したローマクラブの「成長の限界」が1972年、食糧難と人口爆発による全世界的な飢餓の拡大を訴えたポール・エリックのベストセラー、『人口が爆発する!』が1975年。そして、先進国での高成長が停滞に移る引き金になった石油ショックが1973年と79年。

少し前の1962年には、環境問題に対し人々の目が注がれるキッカケになった本、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』が出版されている。

日本の場合、ここに50年代後半から70年代まで続くイタイイタイ病・四日市ぜんそく・水俣病・新潟水俣病の4大公害病が加わる。

もはやこれまでのような黄金時代(ゴールデン・エイジ)は消え失せ、経済成長が自明ではなく、そもそも経済成長に対し、疑念の声すらも上がるようになってきたのが70年代。もはや永遠に発展し続けることを前提とする進歩史観に基づいた、バラ色のような未来の採用は難しいものとなっていた。

そもそもSF(というか文学それ自体が)とは、人々の不安や恐怖をあぶりだすメディアだった。ジョージ・オーウェルの『1984年』やジャック・フィニイの『盗まれた街』は西側諸国における共産主義の恐怖を、ジョン・ウィンダムの『呪われた村』は、第2次世界大戦後のベビー・ブームにより若者の数が記録的な数になる中で、増える若者とその価値観についていけない年長世代の断絶を、そしてネビル・シュートの『渚にて』は、冷戦が本格化する50年代での核戦争の勃発の恐怖が、それぞれ根底にあったといえる。

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