アメリカでは、貧乏人は最貧国の国民と同じくらいしか生きられない
一昨年から昨年にかけて世界中でフランスの経済学者トマ・ピケティ氏の『21世紀の資本』ブームが起きた際、格差是正を訴えるピケティ氏に対しての反論に、
「格差が広がっているとはいえ、日本など先進国ではどんなに貧乏な人でも、アフリカみたいな最貧国の人みたいに飢えに苦しむことはない。すなわち最低限の豊かさが保てられればいいのでは?」
というのがありました。
これに「だから格差対策なんて必要ない」という主張が暗に含まれていることは指摘するまでもなく、そして日本でも、経団連や自民党の偉い方がよく口にするのは言うまでもありません。
なるほど格差がどれほど拡大したとしても、日本の場合、アフリカのジンバブエやチャドなど最貧国ほどには飢えに苦しむことはなさそうです。
そうすると、百歩譲って経団連や自民党のみなさんなど素朴に「格差対策なんて必要ない」と口にする人が出てくるのもわからないでもありません。
しかし、よくよく考えると格差への対象はしたほうが良さそうです。
所得格差が寿命格差として現れる
それは例えば「犯罪率の上昇」や「適切な経済成長が損なわれる」などといった点からも言えますが、今回トピックとしてあげたいのは
「このまま格差対策を行わないと、日本でも北朝鮮並に平均寿命が短い地方が出てくるよ」
ということです。
これは格差大国アメリカを見ればわかります。どういうことでしょうか。
現在、先進国で最も格差が大きい国として知られるアメリカですが、そのアメリカの格差について、最近の研究で「経済格差が健康格差・寿命格差となって現れている」ことがわかってきました。
「そりゃそうだろ」というツッコミはさておき、例えばワシントン大学IHMEが公開しているデータを元に社会科学者のエンリコ・モレッティ教授が著書『年収は住むところで決まる』で述べるところによると、アメリカの郡では平均寿命が最低水準の場合、男性は平均して66歳でこの世を去るとのこと。
この平均寿命66歳という数字、実のところカンボジア、バヌアツ、バングラデシュ、ネパールなど世界で最も貧しい国、「最貧国」の平均寿命以下です。あの北朝鮮と同じ。
・最貧国の男性平均寿命の一部 (2015年。色文字で示したのが最貧国)
(データ表はサイト「MEMORVA」さんのをお借りしました)
・アメリカの地域別平均寿命 (男性:2012年)
(出典元:http://vizhub.healthdata.org/us-health-map/)
教授によれば、アメリカは豊かな地域と貧しい地域で露骨に寿命格差があり、例えばシリコンバレーが位置しインテルやグラフィックボードのNVIDIAがあるカルフォルニア州サンタクララ郡、またバイオテクノロジーが盛んなメリーランド州モンゴメリー郡など豊かな地域の男性は大体81歳まで生きるとのこと。
その一方で、ウエストバージニア州マクダウェル、ミシシッピ州サンフラワーなど貧しい地域では63~67歳ほどしか生きられません。
このような寿命格差は、経済格差が顕在化するまでは存在しなかったそうです。
なるほど、アメリカで格差がハッキリ出てきたのは1970年代からですが、先のIHMEのデータで1985年~2013年までにおける各地域ごとの寿命変化を見るだけでも、この30年でずいぶんと生きられる期間に格差が生じてしまったことに気が付きます。
例えば女性の場合、豊かな西海岸、東海岸などでは最大で8年寿命が延びているのに対して、貧しい中南部では逆に5年寿命が縮小。
これは豊かな地域と貧しい地域で最大で13年もの寿命差が生じたことを意味します。
・1985年から2013年にかけての女性の平均寿命の変化
人の寿命を決定づけるのには遺伝要因、ライフスタイル、経済環境などさまざまな要因があり、これらが複雑に絡み合って規定しますが、モレッティ教授によれば、その中でも大きいのは教育と所得。なぜならこの2つは食生活や運動習慣のみならず、喫煙・飲酒、ありとあらゆる生活様式に対して重大な影響を及ぼすためとのこと。
ほかアメリカならではの特徴として思いつくのが、公的医療保険制度がないためバカ高くつく医療。しかしながらこれはモレッティ教授が自著内でメディケア(高齢者用医療保険制度)を引き合いに出して、否定しています。
そのほか飲酒・喫煙などの生活スタイル。これにおいては各個人の相互作用による相乗効果が加わります。要するに人に影響されるということ。例えばイェール大学のジェーソン・フレッチャー教授の調査によると、周囲に喫煙者が10%増えると本人の喫煙率も3%上昇するとのこと。
なるほど中国でのたばこ、あるいは日本での酒を例としてみればわかるように、酒・たばこは社交上の付き合いとしての役割も持つものですから、周りの人次第で喫煙・飲酒習慣が生まれるのもわかります。
その結果、所得の低い人はただでさえ寿命が短くなりやすい環境におかれているのに、それがさらに…ということになるわけ。
・格差の大きい地域では、貧困者のみならず金持ちまで寿命が短くなる
さてこれまでは、「所得の低い人は寿命も短くなりやすい」という低所得者だけの話であり、高所得者には、まるで関係のない話でした。しかし実のところそう話は単純ではないようです。
例えば『命の格差は止められるか』の著者である疫学者イチロー・カワチ教授は、「格差の大きい地域では貧困者のみならず金持ちまで寿命が短くなる」と主張します。
なるほど確かに先ほどのランキングでは、アメリカは経済大国であるにもかかわらず平均寿命は74歳で世界第34位と、先進国とは思えないような位置にランキングしています。
これを一歩進めて、社会疫学では「周りの人に比べ自分が満たされていない状況が続くと人間は健康を害する」として研究が行われているとのこと。
例えば社会疫学者の近藤尚己氏の紹介によると、アベルグ・ヤグウェ氏らによる研究では所得水準が下から70パーセントの人においては、確かにこの状態が認められるそうです。ただ、より所得水準が低い下から40パーセントの人では認められていません。.
このままでは日本にアメリカ並みの格差が到来する
さてOECD(経済協力開発機構)は、2014年に出したレポートにおいて「このまま再分配政策を行わないと、2060年には日本の格差がますますが拡大。アメリカ並みの格差になる」と結論付けました。
・このまま放っておくと深刻な格差が到来する
すでに80年代から指摘されてきた日本の格差拡大ですが、80年代・90年代の格差拡大が主に高齢化による見せかけでそれほど実害がなかったのに対し、近年の格差拡大の主原因は非正規雇用の増加によるものであり、かなり深刻な被害と影響をみせています。その深刻さはご覧の通り。
加えて良く知られた通り、日本は所得再分配が小さく、再分配後むしろ格差が開くという状態となっており(下図)、一刻も早い事態の改善が求められるのは言うに及びません。
・所得再分配後にむしろ格差が開き不平等になるのが日本
(図は東洋経済の記事より引用)
さてここまで話を進めると「格差なんていつの時代でもある。じゃあ朝日新聞の給料はいくらかと聞いたら終わっちゃう話なんだよ」なんて言葉の単純さ・薄さが実に際だってくるものです。
まあ「日本にもアメリカ並みの格差社会!」と言われても、正直「でしょうね」としか感想がなく、むしろ「2060年?そんなに遅いの」とでも言いたくなりますが、アメリカ並みの格差社会が到来するということは、日本にも地域ごとの本格的な寿命格差が生じてくるのでしょうか。
参考文献
MEMORVA「平均寿命ランキング・男女国別順位 – WHO世界保健統計2015年版」
Sandeep C Kulkarni, Alison Levin-Rector1, Majid Ezzati and Christopher JL Murray(2011) “Falling behind: life expectancy in US counties from 2000 to 2007 in an international context” POPULATION HEALTH METRICS
エンリコ・モレッティ (2014)『年収は「住むところ」で決まる 雇用とイノベーションの都市』プレジデント社
イチロー・カワチ(2013)『命の格差は止められるか: ハーバード日本人教授の、世界が注目する授業』小学館
OECD(2014) ”Shifting Gear: Policy Challenges for the next 50 Years”
東洋経済オンライン(2009)「貧困層をより貧しくする日本の歪んだ所得再分配」
近藤尚己ほか「高齢者における所得の相対的剥奪と死亡リスク AGES追跡研究」