日本の格差拡大は「技術偏向性(skill-biased)」によるものか
1.70年代以降の世界的な格差の拡大
1970年代以降、多くの先進諸国において技術進歩に伴い、労働者の賃金格差が拡大する現象が観察されるようになった。
経済成長と不平等との関係については、クズネッツ仮説というものがよく知られている。これは主要産業が農業から工業へと進むにつれ所得格差は拡大するが、その後になって低所得層の政治力が拡大し法律や制度の整備が進むことにより、所得格差が縮小するというものである。すなわちこの仮説によれば、経済成長の初期の段階においては不平等は拡大するものの、ある程度成長が進むと縮小する。
しかしながら近年では、再び曲線の動きが変化し、不平等が再び拡大するような傾向がみられるようになった。
この1970年代半ば以降の所得不平等の拡大については、多数の研究の蓄積があり、例えばカッツほか (2008)によれば、この再びの所得不平等には次の3点の特徴がある。
①:上位と中位の賃金水準の格差が拡大し続ける一方で、中位と下位の賃金格差は80年代に比べて縮小傾向にある
②:直近15年では、上位層と下位層において中位層よりも賃金成長率が高い
③:1980年代に比べて最も教育を必要とする職種と、教育を必要としない職種の労働需要成長率が高い一方、中位程度の職種の労働需要成長率が低くなった
すなわち、これら3点をふまえるに「中間層の没落」が起こっていると考えてよい。
昨年から今年にかけて、フランスの経済学者トマ・ピケティの著書『21世紀の資本』がベストセラーになったが、この本はまさしく「所得格差の拡大」による「中間層の没落」を扱ったものであった。
話は戻るが、大竹(2005)によれば、アメリカで不平等が拡大した理由を説明する仮説として、次の5つがあげられる。
1) グローバル仮説:貿易の自由化が進み、未熟練労働者を集約的に雇用して生産した工業製品の輸入が増加した結果、アメリカにおける未熟練労働者需要が低下した
2) 低学歴者増大仮説:アメリカでは教育の質の低下や、移民労働者の流入増大により、高学歴者の比率が80年代に入って低下。そのため、高学歴者の供給が低下し、低学歴者の供給が増えた。
3) 技能偏向的技術進歩仮説:高学歴者をより多く必要とする技術進歩が生じ、高学歴者に対する需要が増加。
4) 労働組合組織率低下仮説:伝統的に賃金の平等化を目的の一つとしてきた労働組合の組織率が近年急激に低下してきた結果、賃金格差が拡大し始めた。
5) 最低賃金低下仮説:最低賃金率がインフレ率ほど引き上げられなかったため、最低賃金率が実質的に低下して低賃金者層が増加。
このうち、多く評論家ないしわれわれ一般市民が率直に想像しがちなのは「1)グローバル仮説」である。しかしながら、多くの実証研究の結果、グローバル化が所得格差の拡大の原因としては20パーセントほどの寄与しかなく、ほとんどの要因が「3)技能偏向的技術進歩仮説」によるものだと明らかになった。
聞きなれない名前の「技能偏向的技術進歩仮説」であるが、代表的な論者であるアセモグル、カッツはこれを「偏向的な技術進歩、とりわけ情報通信技術の発達と普及によるもの」と説明する。大学教育が普及することによって、高いスキルを持つ労働者(Skilled-labor)が高いスキルを持たない技術者(unskilled-labor)より相対的に増え、その能力を活用する技術が開発されるようになったということである。
この「偏向的な技術進歩」の下、「高い」能力を労働の前提条件とするような技術体系が普及し、結果として高い能力を持った人々が能力を生かして収入を増やす機会が増えた一方で、「低い」能力のみを持つ人々は、機械による職能の代替により、逆に仕事を減らす機会が増えた。
コンピュータなどIT技術の普及は良い例である。ITの普及により所謂「3K」業務などに代表される最もスキルを必要としない業務と、研究開発や経営企画といったコンピュータによっても単純に置き換えることの出来ない高度なスキルを要する業務の中間帯からの仕事を奪った。すなわち中間層が消え、労働需要の二極分化が進んだ。
ここでの「スキル」は必ずしも教育水準だけを意味しない。それに加え経験年数、生来の能力、男性と女性、または幸運な労働者と不運な労働者といった要素で定義することが出来る。
また、技術進歩は常に高スキル者に偏向的であるわけではない。時代、場所、産業などによって技術進歩がどのような要素偏向をもつかは異なってくる。例えば、Goldin and Katz(1998)によれば、20世紀初頭に起きた、それ以前の職人工房から工場での組み立てラインを用いた大量生産方式への生産システムの変化は熟練労働者である職人を未熟練労働者に代替するもの、すなわち低スキル偏向的であった。
2.日本の格差拡大の性質
近年、我が国でも所得格差の拡大が叫ばれており、事実1980年代以降、格差は拡がる傾向にある。
しかしながら、日本において所得格差拡大の主たる要因として知られているのは、高齢化と世帯の小規模化であり(大竹;2005)、必ずしも上述の格差要因が働いているとは言えない。そもそもにおいて、スキル偏向的な技術革新から不平等が拡大するということは、必ずしも自明にいえるものではない。
なぜなら、高等教育の普及とそれに伴う高学歴者の増加は、高スキル労働者の希少性を低下させ、それによって技能プレミアムも低下するため、高スキル労働者と低スキル労働者の間の賃金格差は縮小するはずだからである。
加えて、日本の不平等が、Acemogluが参照したアメリカほどには著しく開いていないという問題点もある。同様に大陸ヨーロッパ諸国も格差の拡大はアメリカほどには顕著ではないが、その場合には雇用形態が大きく影響しているという。
参考文献
Autor, D. H., L. F. Katz, and M. S. Kearney (2006). “The Polarization of the U.S. Labor Market.” NBER Working Paper No. 11986.
Autor, D. H., L. F. Katz, and M. S. Kearney (2006)“Trends in U.S. Wage Inequality: Revising the Revisionists,”The Review of Economics and Statistics, 90(2), 300-323
Daron Acemoglu (2002). “Directed Technical Change.” Review of Economic Studies 69: 199-230.
Goldin, Claudia and Katz, Lawrence F. [1998] “The Origins of Technology-skill Complementarity,”Quarterly Journal of Economics, 113(3), pp.693–732.
大竹文雄(2005)『日本の不平等』日本経済新聞社