1度付けられた烙印が、人を貧困に追いやるーマタイ効果②ー

マタイ効果にまつわるもろもろの話、前回の続きです。

前回はコチラ:賢い子を産みたいなら、4月に産もう ~マタイ効果と人生の科学①~ 

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烙印効果

烙印効果(らくいんこうか)というものがあります。これはなんでしょうか。

経済学者カーンの研究によれば、失業率の高い時期に就職した者は低い時期に就職した者より賃金が最大で20%程低くなります。また同じく経済学者のボウラスの調査によれば、人生の初期の段階において失業を経験するとその後の人生においても失業しやすくなります。

要するに「低賃金」や「職歴なし」という”烙印”が一度押されると、そのままそれがいつまでも続いてしまう、それゆえに「烙印効果」であるわけです。偶然的な要素から一度つけられた差によってどんどん差が広がっていく…、だからこれもマタイ効果の一種と言えます。

これらの調査結果が示す問題は、人が一度低賃金や失業などの憂き目にあうと、それらのことは一時的なものではなく就業人生において何十年も続くということにあります。

このことのおかしさは、少し考えるとわかります。

失業率を例にとってみると、卒業時期の失業率は個人の能力と何の関係もないのですから、好不況関係なくいつまでも低い賃金が続くことはおかしい。しかし実際は一度起こった低賃金がいつまでも続きます。これはなぜでしょうか。

カーンが説明したところによれば、人が一度低い賃金で雇われると、その賃金の低さは個人の能力の低さゆえと置き換えられて、そのままそれがその人の評価としていつまでも続いてしまうから、とのことです。

「自己責任」という言葉が盛んに叫ばれるようになった2000年代

さて烙印効果がより深く示唆することがあります。それは「社会的な問題が、いつのまにか個人への問題へとすり替えられてしまう」ということです。

先の話で考えてみると、失業率の高低というものは個人の力でどうとなるものではなく「社会的な問題」です。しかし「社会的な問題」の受けてのものだったはずの低賃金が、いつのまにか「個人の能力の低さゆえの低賃金」へと置き換えられてしまう。

雇用・労働、教育、福祉…、考えてみるとこのようなことはあらゆる方面でで見ることが出来ます。

さらには世の全体的な趨勢として「社会の問題が個人の問題へと置き換えられる」ようになっているようにも思えます。

例えば2000年代前半に登場し、近年盛んに叫ばれるようになった言葉として「自己責任」というものがありますが、これは社会的な問題を個人の問題として置き換える役割を持つものとして、実に都合よい言葉だといえます。この言葉によっていったいどれほどの国家の責任が個人の責任へとすり替えられていったことでしょう…。

このような言葉の出現という現象それ自体が、社会問題の個人化の一端と言えるでしょう。

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